19 July 2008 / Saturday

喫茶去のてぬぐい

Filed under: Design デザイン, Polaroid ポラロイド, Photograph, Art — argyle street tea room @ 18:27:15

喫茶去

これは、祖母の持っていたてぬぐい。
母方の実家の目の前にある古い禅寺の和尚が描いたものらしく、なかなかいい塩梅だったので祖母から譲り受けていた母からぼくがもらってきた。以来、描かれた「喫茶去」の部分を残し両端を切り、額に入れて飾っている。
「喫茶去」とは、禅語で「よう来られた、まあお茶でもどうぞ」という意味。また、多くの茶道家たちはこの「喫茶去」の語を茶掛けとして尊んでいると聞く。
「まあ、お茶でもどうぞ」だから茶の席にはうっつけだけれど、この語にはもちろんもっと深い禅の意味がある。

好きなひと嫌いなひと、身分の高いひと低いひと、お金持ちとそうではないひと、外見の良いひと悪いひと、自分にとって有益なひとそうでないひと、男だから女だから、若いから歳をとっているから、過去や未来、あるいは自分自身と他者…
悲しいかな、ぼくらはおうおうにしてこういった条件に選り好みをし、その扱い方や接し方を変えてしまっている。
計算高く誰かに接することではなく、対象が誰であろうとフラットで無心の思考で「よう来られた、まあお茶でもどうぞ」と招き入れる。これが「喫茶去」の本来の意味。茶席での亭主も、茶を点てて客にすすめるとき、誰に対しても「喫茶去」なのだ。

禅寺の和尚は、分別なくすべてのひとに平等に気持ちを開ける悟りの境地を得たのだろうか。宗教心の乏しいぼくはいろんな意味を込めてその「喫茶去」を自宅の玄関に飾っている。

13 July 2008 / Sunday

アルネ・ヤコブセンの映像

Filed under: Design デザイン, Art direction, Film / Cinema, Photograph, Art, cinema — argyle street tea room @ 10:56:28


敬愛して止まない「アルネ・ヤコブセン Arne Jacobsen」。
数年前、いてもたってもいられなくなってコペンハーゲンにヤコブセン詣に訪れた。
彼がデザインのすべてを手掛けたホテル、Radison SAS ROYAL へも泊まった。直線と曲線の調和。本当に美しかった。

コペンハーゲンの街のいたるところにヤコブセンの家具が存在した。
公共施設、オフィス、ホテル、アンティーク家具店、レストラン、イルムス。アリンコ、セブン、タン、グランプリ、スワン、エッグ。そして、ファブリックやカラトリーも忘れてはいけない。
ヤコブセンのデザインが、街に、人々の生活に、それは空気の存在のようにあたりまえにしっかりと組み込まれていた。
きっと、これまでずっとそこにあったように、これからもずっとそこにあり続けるのだろうと思った。美しい風景と美しい関係だ。

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先日、まえから気になっていたヤコブセンのDVDを手に入れた。「ドキュメンタリー Arne Jacobsen」。コペンハーゲンの街、ベルヴュー、オーフス市庁舎、ムンゲゴーの小学校、デンマーク国立銀行、そしてラディソン SAS ロイヤルホテル。本人はもちろん、研究者や当時のスタッフのコメントを交え、美しい映像が続く。

ヤコブセンの事務所でともに働いた元スタッフが回想するとても印象的なフレーズがあった。何かをクリエイトするものにとってはある意味儀式のようなものだ。

“彼(ヤコブセン)の進め方で重要なのは、冷静に自分と向き合って、自問自答することだ。別の視点からデザインを見直すのが常だった。この作業を「対話」と呼んでいた。”

早速、iPod touch に入れてこの美しい映像を持ちあるいている。

10 July 2008 / Thursday

アラーキーの横浜美人100人撮り!

Filed under: Design デザイン, Photograph, Museum, Art — argyle street tea room @ 22:40:06

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雨が止んだ昼下がりの午後、散歩がてらに横浜美術館へ。ちょうど、1Fのグランドホールで荒木さんが公開で写真を撮っていた。

アラーキーの横浜美人100人撮り!

そのホールの上の2階の欄干から真下に、その撮影風景を眺めた。例のペンタックス67。周りのスタッフもフォローしてくれないほどの、 例の下ネタオンパレード。マエストロの振る舞いを、仕事の現場を(耳をソバ立て)子供のように目を爛々と輝かせて長い時間見入ってしまった。

「まあ、ね、シャッター押すのには近寄るタイミングも必要なんだけど、去り際のタイミングというのが絶妙じゃないといけないの。ここが憎まれるか愛されるかの分かれ道ですよ。難しい。なにかいい風を残していくってことが問題なの。たいがいね、悪臭を残して帰るヤツが多い(笑)。」

と「天才アラーキー 写真ノ方法」(集英社新書)で自身がそう語っていたけれど、モデルとの接し方ははまさにそう、絶妙。繊細でやさしい。みんな、とびきり嬉しそうに恍惚の表情で帰って行く。
自分で言わなくても天才は天才だ、ってつくづく思った。コミュニケーションの天才。愛される天才。生、死や別れ、性、愛、自分自身のこと、そういうものをすべてひっくるめて理解し(あるいは理解しようとして)、結局のところ写真はヒトが撮るものなのだ。
あ、あと、たぶん、はなちゃんもセンスの天才。スタイルではない態度をしっかり持っている。

27 June 2008 / Friday

3 オムトン

Filed under: Music 音楽, Art — argyle street tea room @ 10:59:58

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女性打楽器トリオ、「オムトン omu-tone」のサード・アルバム「3」
なんだか踊りだしたくなる。
愛しく、やさしく、可愛いマリンバとヴィブラフォンの音色とリズム。
背伸びしていない三人の等身大で軽やかな音楽。
Dots and Loops。

【my space music】
http://www.myspace.com/omutonemusic

05 March 2008 / Wednesday

牛腸茂雄

Filed under: Photograph, Book, Museum, Art — argyle street tea room @ 19:31:49

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技術に頼っていたり、流行りだったり、スタイリッシュだったり。
そういった表現物は世の中にたくさんあるけれど、それとは違う視線の延長線上にある芯がしっかりしていて決してぶれない普遍的なものに子供の頃から憧れを持っていた。
換言するとそれはふつうで永遠で精神的に深みのあるものと云えるのかもしれない。
牛腸さんのコンポラ写真は、ぼくにとってまさにそれで、普遍的な深い美しさがそのモノクロームの中にいつもある。いたって日常的な光景にそのなまなざしを淡々と傾ける姿勢に深い永遠性を感じる。彼の写真へのピュアな態度が、あるいは幼少時に患った病と闘い続けていたという事実が、ぼくには捕まえきれそうでつかめない永遠の一瞬を切り取らせているのだろうか。

“Punk is attitude, not style.”
ジョー・ストラマーがかつてそう語ったように、本質はスタイルには宿らない。

わたしいまめまいしたわ」現代美術にみる自己と他者
東京国立近代美術館
2008年01月18日(金)〜2008年03月09日(日)
http://www.momat.go.jp/Honkan/Self_Other/index.html

《写真》牛腸茂雄 “SELF AND OTHERS” 1994(未来社)より

05 July 2007 / Thursday

なにわのトらやん

Filed under: Design デザイン, Polaroid ポラロイド, Photograph, Museum, Art — argyle street tea room @ 10:58:39

こどもたちが世界の終わりを生き延びられるように。未来もサバイバルできるように。

そんな願いとメッセージが込められた世紀のトリックスター「なにわのトらやん (c) Yanobe Kenji」。
使命感を抱え、ひとり佇む姿に、何故かぼくの涙腺はゆるむ。
その先に何が視えてる?

横須賀美術館、開館記念《生きる》展にて。
こどものための最終兵器、「ジャイアント・トらやん」は必見。

http://www.yokosuka-moa.jp/
http://www.yanobe.com/

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